宇宙大河は、あなたのいのちの一滴に、依存している
実は、あなたのいのちとは、宇宙大河の一滴のことなのだ。
わずか一滴ではあるけれど、その一滴がなければ、宇宙大河はついに成り立たない。
あなたのいのちの一滴は、宇宙大河をなし、
宇宙大河は、あなたのいのちの一滴に、依存している
(『自由訳 般若心経』新井満 著)
下半期の一日目、怜璃の仕事は担当のいちばんおおきなクライアントの所内会議だったのだが、年度はじめということもあって、会議の時間の半分は研修だった。
で、そのときに頂いた書籍が↑。
このクライアントでは、毎週の会議のときに般若心経をよんでいる。
毎月月初土曜に参加していた坐禅でもよんでいた。
ずっと、意味はわからなかった。
興味はあったので、頂いた2冊はその場で貪り読んでいた。
2冊を読んで、どうやら般若心経とは、空(くう、とよみます)を説いているものらしいことがわかった。
右の書は、空、というのを、「物質はすべて原子(もっというと素粒子)からできていて、自分、も、他人、も、机、も、椅子、も、原子が他のところよりちょっと密集しているところ、というだけのことなので、わたし、とか、あなた、とかいう区別はないんだよ」というのが空、としている。
(それでも私が私としてあること、あなたがあなたとしてあること、は肯定されている。 相反する事象ではなく、同時におこりうること、という位置づけ)
左の書は、空であるところの人間の存在だけれども、それは無数の可能性から選ばれて起こっている奇跡であって、それにはきちんと意味がある。どんな意味があるかというと、この世に生を受けた人にはすべて、その人でなければ果たせない役割があるのだよ、ということを告げている。
それぞれ人が果たすべき役割、については怜璃のこの先の人生の大きなテーマなので語るべき諸々あるのだけれど、それはまた今度。
以下、研修の中できいたお話と、左の書の抜粋。
たとえばここに、高級なワインの瓶があったとする。
それはとても高級な瓶である。
しかし中身のワインを飲んでしまえば、それはただの空き瓶である。
あるいはその空き瓶を素敵だと思う人がいて、花を生けたらそれは花瓶になる。
あるいは、強盗が入ってきたので咄嗟にその瓶をつかんで底を割れば忽ちそれは凶器となる。
もっと割れてしまえば危険な硝子の破片である。
その粉々に砕けた破片は、溶かしてしまえば新しい硝子製品の材料になる。
同じように、この世にある全てのものは、不変ではない。
それぞれすべてつかの間のものだけれども、まちがいなくそれはそこに存在したものなのだ。
そう、それこそがまさに色即是空、空即是色。
そしてこの世にあるものはすべて、意味もなく生じてくるわけではない。
無数の様々な原因(因)と条件(縁)が寄り集まって生じてくるのだ。
同じものであっても、因と縁が異なれば、まったく別のものが生じてくるのだ。(from自由訳般若心経)
因縁、というものは、誰もが先祖代々、引き継いでいるものであります。
途方に暮れる、とか、
絶望は前提(by江國香織)、とか
そういうのも、空を認識するのと、おなじことなのではないだろうかなぁ、とも思う。
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最後、失礼するまえにあらいさんとお話をしたときに、
もっとずっと前に退職したいと言ったときに、半年仕事をしながらゆっくり考えなさいといってくれた
センター長に感謝をしなさいね、といわれてほんとうにその通りだと思った。
辞めることを決意し、それでも半年の猶予を頂いて本気で頑張ったときから
私の人生が好転しはじめたことを、彼女は知っているのだ。
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