2006/05/17

I should learn how to bend.

なんだか精神的におかしい、ということに気づいてから「壊れそう!」というほど苦しくなるのに時間はかからなくて、壊れそう、と思ったところで、めーいっぱい肩に力を入れて生きてたんだということにはじめて気づく。壊れるというのはそれだけかたくなってるということ。

あれしなくちゃいけないこれしなくちゃいけない。

授業で習ったことは全部覚えなくちゃいけない。
奥さんは旦那さんにこうしてあげなくちゃいけない。

そういう自己呪縛とか。
たとえば他には。

今日ご飯をたべて、洗い物をしていたら、空になった牛乳パックがなくなっているのに気づいた。
振り返ると発砲スチロールトレイもない。
どちらも、ごみのかさを減らすために、次からスーパーマーケットのリサイクルコーナーに持っていこうと思って、洗って干して重ねてあったもの。
別に必要なものじゃないからなくても良いんだけど、なんで「これどうするの?」ってひとこと、きいてくれずに捨ててしまうのだろう。
あたしの、日々のささやかな努力の積み重ねを一緒にゴミ箱に捨てられてしまったようで哀しい。

15年も一人暮らしをしていたら、いやでもその人のスタイルは固まるわけであり、潜在意識の中で他者は異物ととらえられてしまう。だから自分がごみだと思ったら捨てるし、棚に自分がとるものの前に何かが置かれていると「またこんなところに余計なものを」、となってしまうわけで。そういうののたびに、ああこの人の中であたしはまだ他者なんだなとおもって途方に暮れる。

昨日も、そうではなくて、「これ他の場所においてくれる?~~するとき引っかかるから」っていういいかたをすればいいでしょ、ということを伝えたところ。

そういう小さいことのなんやかやを、時にはひとりでみつけてひとりで泣き崩れてひとりでたちなおり、帰ってくる頃には明るく出迎えてあげて、伝えるべきことを言う。

で、そのベースには「奥さんは帰ってくる旦那さんを明るく出迎えてあげるべき」という「べき論」に心が支配されていて。
あぁもうなんだかよくわかんないゃね。

仕方がないからミントティーをがぶがぶ飲む。オリゴ糖がなくてデトックスジュースになれなかったミントティーを。

でも今は多分そういう時期なんだと思うの。
壊れないように、肩の力は抜きながら、うまくしなることが、できるようになったらね、いいんだよね。
ひとつひとつ、ね。
生活を愉しみながら、ね。

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