2006/07/02

お金を稼ぐということと、お金を儲けるということは、根本的に違うのだろう。

お金を稼げるひとに、わたしはなりたいのだよ。

ということを
http://blog.livedoor.jp/ld_opinion/archives/50303156.html
を読みながら思った。
正確に言うと、村上世彰氏の逮捕前の会見での「金儲けは悪いことですか?」というのがずっと引っかかっていて、それに対する自分なりの結論、ということになるのだけれども。

アメリカのIT企業といわれる企業。たとえばグーグルであれ、マイクロソフトであれ、儲かったお金の多くの部分を自分たちの技術開発に投資し、その分野での競争力を高めています。もちろん、これらの会社も必要に応じてM&Aもしますが、マイクロソフトがM&Aで傘下に収めた企業は、アップルなど自分のところの技術の足しになるような会社であるようなケースがほとんどです。

私は少なくとも、技術力や競争力によって、時価総額を守っていくほうが強いし、正道だと思えるのです。日本の企業では、たとえばトヨタやキヤノンのように、自分のところの技術力で会社の株価を維持する会社のほうが強いし、実際に外貨を稼いでいるのです。

一番の悲劇は、堀江さんにしかできないことと、堀江さんが頭がよかったから勝てることを区別しそこなったことだと思います。堀江さんにしかできなかったことがITの開発なら、ITの世界を本業とすればよかったのです。

いろいろ読んだけど、一番すっと入ってきたかな。
核の部分を、きちんとしておくこと、ということね。


それから、PRESIDENT7月17日号P138。
特別対談
話題作「不撓不屈」の見所について二人の当事者の証言を聞く高杉 良 vs 飯塚真玄 「信念を貫いた仕事人が伝えたかったこと」
http://www.president.co.jp/pre/20060717/index.html

あの映画の真髄は、この見開き3ページの中にすべてあると思うのよ。ちょっとほろり。

新しい会社法のことは、ちょうど会社を辞めてしまうタイミングだったのでほとんど勉強していないけれど、対談の最後の飯塚社長のことばで、アメリカ化、アングロサクソン化の流れであると窺えた。

アメリカの会計基準を勉強していた学生の頃は、これが正しくて、企業会計とはこうあるべきで、日本もこういう風になっていくべきなんだ、と強く思っていた。

そういう思いが壊れ始めたのはもしかしたら自分の誕生日に崩れ落ちたワールドトレードセンターをみたときからだったかもしれないけれど、本格的に壊されたのはあの会社で3年間働いた中でみてきたものによるのだと思う。

真似すりゃいいってもんじゃない。
アメリカに必要なものと、日本に必要なものと、違う。
自分の手の中にある、よいものを、きちんと認識しなければいけない。
そういうことを、教えてもらってきた気がする。


飯塚社長はこう語る。
 やむことのない企業の不祥事で、コンプライアンス(遵法義務)とかアカウンタビリティ(説明責任)、あるいはディスクロージャー(情報開示・透明性)、そういった言葉がどんどん企業経営の中心的な位置を占めています。しかし、欧米と比べて、日本の企業で不祥事を起こすのはトップが多いのです。ところが「新会社法」では、従業員は悪いことをするものだという視点で捉えてしまっています。
 当然ながらトップと社員の間の溝が広がってしまう。社員の不正に備えて内部通報制度をつくれとか、それを強制的にやらせようとしている。それをオブラードに包んだ形で見せてはいるけれども、これは密告制度です。日本の企業風土にこうしたアングロサクソン的な価値観を持ち込むべきなのでしょうか。

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