結婚式でした。
叔父の。鳥取から祖母は出てこられず、下の叔父とその娘二人と。うちは夫と出席。50近い叔父の結婚式で、両親は叔父の親代わりをつとめ披露宴では各テーブルを回り、披露宴の締めにだいたい新郎の父がする挨拶も父があぶなっかしく務め上げた。
三兄弟で、父は神奈川で高校教師を、結婚した叔父は神奈川で小学校の教員を、下の叔父は鳥取で小学校の教員をしている。
私も今まで叔父達がどんな仕事をしているか(仕事内容ではなくて仕事の仕方のことです)知る由もなくそれは兄であるところの私の父も同じであったと思うが、披露宴では同僚や上司である学校の先生方が、学校の先生らしい長ーいスピーチで、叔父(と、叔母になる方の)仕事ぶりを伝えてくれ、それは昨今の教育現場の批判に対して、身びいきを差っ引いても心温まるお話を、それは多くの方から、多くの内容をきかせてもらうことができ、叔父も叔母もそんな風に周りの方々から愛されているのだと知ることは、父や下の叔父にとってはもちろん、母や私なんかにとっても、やっぱりとてもうれしいことではあって。
父にとっては祝電の後に読まれた祖母の手紙がダブルパンチとなったようで、最後の挨拶を、話しはじめる前に涙との戦いとなったようだけれども、えらい長ったらしい、へったくそな、なのにとても共感力のあるスピーチをして、何度も拍手をもらっていた。ある意味私の結婚式よりも感慨深い結婚しきだったのではないかと思う。スピーチについては、後から、かの11年前の祖父の葬式の喪主挨拶からは随分成長した、と母と下の叔父が頷きあっていた。
結婚式を挙げることのよい点は、人の結婚式に出たときに、自分の結婚式を思い出すことができることもひとつではないかと思う。結婚式なんて単なる見せびらかしだとずっと思っていたのに、結婚式の準備を進めていく間に、今まで出会ってきた人々に対して感じた感謝の強さは、それまで知りえないものだった。初心は、忘れてはいけない。
心配なのは最近てんかんの発作が発生しはじめ、時々突如倒れてしまう弟だ。
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